京セラ・KDDIの創業者にして、経営破たんしたJALを再生させた実業家として知られる稲盛和夫氏。私の尊敬する経営者の一人です。
氏の著書、『働き方』(三笠書房)のなかに、私の好きなエピソードがあります。
京セラが創業して10年も経たないころ、世界的コンピューターメーカーIBM社からの注文を受けました。
けた外れに高い水準の要求に、当時の京セラの持てる力と技術をすべて注ぎ込んでも、何度も「不良品」と製品を返品され、絶望感に包まれる社内。
ある若い技術者が意気消沈して泣いているところに、稲盛氏が現れ、こう言います。
「おい、神様に祈ったか」
この発言の真意は、「人事を尽くし、後はもう神に祈り、天命を待つしか方法はないと言えるほど、すべての力を出し切ったのか。自分の身体が空っぽになるくらい、製品に自分の『思い』を込め、誰にも負けない努力を重ねたのか。」とあります。
プレジデントオンラインにも紹介された記事がありましたので、リンクを貼っておきます。
https://president.jp/articles/-/11687?page=2
毎回のテストに向けて、あるいは入試に向けて。
私は、塾生が過去最高の点数を取るために、志望校に合格するために、塾生に自分の「思い」を込め、人事を尽くし、誰にも負けない努力を重ねているか。
塾生のために、まだ自分にはできることがあるのではないか。本当にすべての力を出し切っているのか。
個別指導の時間に最もわかりやすく教えることはできているか。個別のカリキュラムの進め方、単元の順番と時期、難易度は適切だったか。宿題の量や難易度は適切だったか。塾生をよく褒め、励まして、モチベーションを高めることができているか。勉強の面白さを伝えることができているか。親御様ともしっかりコミュニケーションをとり、信頼関係を築けているか。言いにくいこともちゃんと伝えているか……。
本当に、私は人事を尽くしたか。「神に祈ったか。」
そう自問自答しています。
私がどんなに努力をしても、テストを受けるのは塾生です。ある意味、最後は天命を待つしかありません。
そのとき、「神に祈る」ほかにやることがないと胸を張って言えるまで、塾生のために人事を尽くしたいと常々思っています。